【ブラック校則】202-5.ブラック校則に関する質問主意書

議事録を先にゴソゴソしようかとおもっていたのですが、最近の国会でブラック校則に関する質問主意書が出ていたので、先にまとめます。

 

www.shugiin.go.jp

立憲民主党 中谷一馬さんの質問主意書です

 

-----

質問主意書

ブラック校則に関する質問主意書

 

(一)
立憲民主党青年局において、若者から意見提言を伺う企画を行った。
その中で、「不適切な校則(ブラック校則)」についての問題提起を複数人の方々から頂いた。
その内容を調べてみると、「運動中の水飲み禁止」「ポニーテール禁止」「整髪料禁止」「地毛が茶色でも黒髪に染めるよう指導されるなどの髪型指定」「シャープペンシル禁止」「マフラー禁止」「下着の色は白色、淡色、無地」「旅行に行く場合は事前願が必要」「帰宅途中の買物禁止」「恋愛禁止」など挙げれば切りがないが、一般的に世の中に対して合理的な説明ができないであろうルールが散見される。
一方、中央教育審議会の教育課程企画特別部会において、学習指導要領等改訂の基本的な考え方としてとりまとめられた「論点整理」(平成二十七年八月)(以下、「教育課程企画特別部会論点整理」という。)の中には、「これからの時代に求められる人間の在り方」として、「他者に対して自分の考え等を根拠とともに明確に説明しながら、対話や議論を通じて多様な相手の考えを理解したり自分の考え方を広げたりし、多様な人々と協働していくことができる人間であること。」「社会の中で自ら問いを立て、解決方法を探索して計画を実行し、問題を解決に導き新たな価値を創造していくとともに新たな問題の発見・解決につなげていくことのできる人間であること。」という記載がある。
現在のようにブラック校則が蔓延し、それらを押し付ける生徒指導が常態化しているとすれば、このような人材を育成することとは相反すると考える。
もちろん、規範やルールを守ることを指導することは大切である。
しかし本来の生徒指導は「一人一人の児童生徒の人格を尊重し、個性の伸長を図りながら、社会的資質や行動力を高めることを目指して行われる教育活動」(文部科学省『生徒指導提要』)である。頭髪や服装などを規制する校則は「全員が同じ」を善とする価値観を育てるものであり、校則違反者に対する懲罰的生徒指導も、「言われたことに文句を言わずに従っていればよい」という考え方を子供に植え付けかねず、主体的に多様な価値観を持つ人々との協働を行う事のできる人材の育成とは相反する指導であると考える。こうしたブラック校則問題について政府はどのように捉えているのか、所見を伺いたい。

 

(二)
現状として校則の見直し権限が各学校長にあるのであれば、文部科学省が主体的にアンケート等で調査し実態を把握した上、見直しの参考となる情報として提供することは生産的かつ合理的であると考える。
政府として、ブラック校則について若者がアクセスしやすいSNS(ソーシャルネットワークサービス)やウェブサイトを活用したパブリックコメント形式のようなアンケートを行い、調査した情報を各自治体の教育委員会、各学校長に情報提供を行うことは、ブラック校則を自主的に見直す良いきっかけになると考えるが如何か。
政府の見解を伺いたい。

 

(三)
教育課程企画特別部会論点整理の中には、「これからの時代に求められる資質・能力」として、「複雑で変化の激しい社会の中では、固有の組織のこれまでの在り方を前提としてどのように生きるかだけではなく、様々な情報や出来事を受け止め、主体的に判断しながら、自分を社会の中でどのように位置付け、社会をどう描くかを考え、他者と一緒に生き、課題を解決していくための力が必要となる。主権を有し、今後の我が国の在り方に責任を有する国民の一人として、また、多様な個性・能力を生かして活躍する自立した人間として、こうした力を身に付け、適切な判断・意思決定や公正な世論の形成、政治参加や社会参画、一層多様性が高まる社会における自立と共生に向けた行動を取っていくことが求められる。」という記載がある。
この考え方に私も賛成だが、現状のブラック校則を放置した教育環境ではこうした資質・能力は育まれにくい。むしろ校則について生徒たちの声を無視したり、それに対してしっかりと向き合わない現状があるとすれば、「自分が何を言っても学校は変わらない」から「自分が投票したところで社会が変わるとは思えない」という考えにつながるという指摘を、私が意見を頂いた若者からは寄せられている。幅広い民意を政治に反映させるため十八歳以上に投票権を認めたこと、また、学校教育の中でも選挙、政治参加の重要性を伝えていることと矛盾した状況を生み出すこととなると考える。
校則に関して、「校則を変えるための校則がない。」という、おおよそ立憲民主主義国家では考えにくい現状にある学校が存在する中で、生徒が主体的に校則に関わり、時代のニーズに応じて変える事のできる仕組みが普通に行われる環境整備が重要であると考える。
シティズンシップ教育の観点からも、生徒、保護者、教員などがしっかりと話し合い、透明性のあるプロセスの中で、校則が作られていく環境や風土を政府主導で進めるべきであると考えるが如何か。政府の見解を伺いたい。

右質問する。

 

-----

答弁書

(一から三までについて)

 学校における校則は、各学校において、それぞれの教育目的を達成するために必要かつ合理的な範囲内で定めるものであり、その内容は、学校を取り巻く社会環境や児童生徒の状況の変化に応じて、絶えず積極的に見直される必要があるものと考えている。
また、当該見直しに当たっては、児童生徒が話し合う機会を設けたり、保護者からの意見を聴取したりするなど、児童生徒や保護者が何らかの形でそのプロセスに参加する例もあると承知している。
文部科学省においては、こうした校則の見直しに関する考え方等について、都道府県・指定都市等生徒指導担当者連絡会議等において、都道府県教育委員会等に対し周知を図っているところであり、今後ともこうした取組を進めることとしており、現時点において、お尋ねのような「アンケート等で調査」をする必要はないと考えている。

 

-----

 

質問主意書の一問目は、

「うちの党で若者に聞いたらブラック校則っていうのがあるみたいなんですが、これって中央教育審議会の『論点整理』や文科省の『生徒指導提要』と照らし合わせると、相反する内容になっちゃいますよね?文科省としてはこれってどうなんですか?」

という質問ですが、この質問に関しては答弁書の中に含まれてないように思いました。しいて言うなら最初の文章で「学校ごとに決めるもので、学校を取り巻く環境等によっても違いますよね~~」ってやんわりと言ってるかなぁ…

 

二問目は

「国として実態をアンケート等で調査する予定ないですか?SNSとか便利ですよ」という質問。

これにはしっかり「アンケートをする予定はありません」と答えています。

 

三問目。一問目と同様、中央教育審議会の『論点整理』に触れ、「ブラック校則を放置していたらこの『論点整理』に書かれているような人は育たないんじゃないですか?」「ブラック校則を変えようとしても変えるためのルールがないですよね?」という質問。

「児童生徒が話し合う機会を設けたり、保護者からの意見を聴取したりするなど、児童生徒や保護者が何らかの形でそのプロセスに参加する例もあると承知している。」がこの回答にあたりますかね…

 

-----

ブラック校則について「政府が出してる文書とは違う方向の生徒指導になってるよ」「だからどんな状況か一回調査した方がいいんじゃないの」ということが言いたい質問主意書だとは思うのですが、ちょっとその方向だと答弁しにくいのかなという感じがあります。

文科省として「校則の見直しに関する考え方等について、都道府県・指定都市等生徒指導担当者連絡会議等において、都道府県教育委員会等に対し周知を図っている」とのことなのですが、どんな周知を行なっているのか、気になっちゃいました\( 'ω')/